クーチロー(野を歩く人)

アマレ族のクーチロー(野を歩く人)と
3000頭の羊に遭遇!
ここはシラーズの北ケルスタンの村外れ。村へ続く舗装道路をロバに揺られながら歩いていた遊牧民の男性から、轍の道に入り、山を越えた先に、移動中のアマレ族の宿営地があるという情報を得た。
その情報を信じて進んでみると、南北に低灌木がまばらに生えるだけの砂礫の山が連なる殺伐とした山岳風景の中、谷筋を進む人や、斜面を下りてくる人が視界に入った。羊飼いの男たちは全員、荷物も持たない軽装の歩きで羊を追いながらやってくる。短い叫び声一つで、羊の大集団を自由に操る一人の青年に出会った。乾燥した大地、うだるような暑さの中、何千頭もの羊に少しでも水を含んだ草を喰ませようと、進む青年の強い生命力に脱帽だ。
この一族の羊と山羊の総数は約3000頭だが、5つのグループに分かれて、ほどよい間隔で次々に宿営地に到着していく。
羊たちの体力差はあるだろうに、皆歩調を合わせて粛々と進んでくる。このグループは冬の宿営地を出てから何日目だろうか。最終目的地、北のセミヨン近くのサラハットを目指して、まだ旅の中途である。
ラクダが主役の時代は過ぎ去り、今では大半の家族は小型トラックを持ち、家財道具を満載して移動を続ける。その日の宿営地に先行して火をおこし、食事の用意をしたり、野営のテントを張ったりして、やがて来る羊たちの集団を待っている。
5つのグループの中に、今は珍しくなったロバの背に揺られながら、泰然と歩いてくる家族を発見!伝統的遊牧生活を続ける「野を歩く人、クーチロー」だ。女性が巧みにロバを乗りこなして原野を進んでいく姿は絵になる。
この家族こそが、私が想い、焦がれていたカシュガイ遊牧民の姿なのだ。
私は思わず、斜面を駆け下りて家族の元へ走り寄る。こんな時、まずは前日シラーズの菓子屋で買ってあるキャンディーを大摑みにして渡す。疲れた体には甘いものが喜ばれる。受け取ってくれれば、まず交渉成立、コツは家長を最初に攻略すること。身振り手振りでカメラを指差し、写真を写してもいいかと語りかける。「まぁ、お前も一杯やらんか」とチャイを勧められれば、警戒心を解いてくれたことになる。
その後はどの家族にカメラを向けても比較的自由に撮影ができた。カシュガイの人たちは総じてシャイである。女性や子どもは相当に慣れてこないと、本当の素顔を見せてはくれないが、いったん心を許すと、純真な素顔が魅力的な人たちだ。
年を追って、原野を大移動して歩くカシュガイ遊牧民の数も減ってきていると聞く。300kmの旅も大型トラックに羊を満載して運べば一日で済む。
糞まみれになり、車酔いした惨めな羊を何度か見た。便利さと引き換えにカシュガイの誇りと尊厳を捨ててしまったら、単なる牧畜業者になってしまう。イラン南部の原野を、羊と共に歩き通し、緑の大草原サラハットを目指す姿に、伝統的遊牧生活者の真の姿を見た。実は私は興奮するあまりこの集団の出発地も家族名も、一切覚えていない。メモさえも取っていなかった。まさに一期一会の出会いに終わった鮮烈な記憶だけが残る撮影であった。私の写真の流儀は現場に自分が立つことが原則。カシュガイの土地に入り、撮影を許される自分は、見えない力に導かれているのかもしれない。運に感謝だ。


『大地の絨毯 GABBEH』
カシュガイ遊牧民・
草木染め手織り絨毯
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