遊牧民カシュガイ族の居住地
現在のカシュガイ遊牧民を構成する人々は、古くはイラン北部にあるカスピ海の沿岸地域アゼルバイジャン からトルクメニスタンにかけて遊牧生活をしていたトルコ系遊牧民であり、クズルバシュと呼ばれることもある。
16 世紀に入ると、この地方にサファビー朝が勃興し、タブリーズを中心に栄える。そして、王朝の傭兵軍団として遊牧民も勢力を広げていく。当時、遊牧民の騎馬による戦闘力は圧倒的で、その軍事力を背景に、サファビー朝はアゼルバイジャン方面からイラン高原を統一していくのである。
16 世紀の終わりごろ、サファビー朝中期のシャー・アッバース一世はペルシャ中部のイスファハーンに遷都 して、シルクロード交易を盛んにし、全盛時代を迎える。傭兵軍団であった遊牧民もこの王朝と連動する形で南下、イスファーハンの南西に位置する現在のセミロン、ヤスジ周辺の高原地帯に移り住み、豊かな安定した生活を送るようになる。
セミロン周辺の地域は今でもカシュガイ遊牧民の夏のキャンプ地で、サラハット(高冷地)と呼ばれる土地。私たちがカシュガイ族を追いかけ始めた当初、「カシュガイを知りたければ、サラハットへ!」と促された素晴らしい土地である。 18世紀後半に、5つの大きな遊牧民部族であるカシュクリ、アマレ、ダルシェリ、シシブルキ、フェルシマ ダンと、いくつかの小さな部族(カシュクリ・クチェク、カラチャィなど)を支配していた遊牧民の地方領主ジャニ・カーン・カシュガイが、これらの部族を統一してカシュガイ南部連合を創設する。その家族の姓「カシュガイ」が、支配していた部族全体に使われるようになったといわれている。
イスファーハンの南の高原地帯で自治権を与えられ、自由に活動をしていたカシュガイ栄光の時代といえよう。今でも長老たちは、偉大な指導者としてジャニ・カーン・カシュガイを生き生きと語る。「我々が今あるのは、ジャニ・カーンのおかげだ」と。


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